前回の記事で場面緘黙症について書きましたが、
この記事では場面緘黙症だった私(現在40代)が、
幼少期から小学校時代をどう過ごしていたのかを、振り返りながらお話しします。
幼少期のことは正直、すべてをはっきり覚えているわけではありません。
それでも、声を出せない感覚だけは、今でもはっきり覚えています。
私の周りには、先生や友達のいろいろな反応がありました。
みんな悪気があったわけではないと思います。
子どもだった私の心に強く残っている部分をお話ししようと思います。
困りまこま幼稚園や学校って、声を出さないといけない場面が思ってる以上に多い場所なんですよね…
この記事は、あくまで「私、真駒の場合」の体験です。場面緘黙症の表れ方や感じ方は人それぞれです。参考程度に読んでいただけたら嬉しいです。
私が「声を出せなかった」幼少期の体験
3歳児検診で話せなかった私は恥ずかしがり屋?
母の話によると、3歳児健診の問診で私は医師や保健師さんの問いかけに、
まったく言葉を返そうとしなかったそうです。
「……家では会話はできてますか?」
「はい。言葉はちゃんと理解できていて、おしゃべりもたくさんしてます。ただ、すごく人見知りはしますね」
「うーん…すごく恥ずかしがり屋さんな性格なのかな。お家でお話ができてるようなら大丈夫そうですね」
母は医師とこんなやりとりをしたそうです。
当時は「場面緘黙症」という言葉はほとんど知られていなく、認知度も低い時代でした。
今になって振り返ると、この年齢で人見知り、恥ずかしがり屋と見られるのは自然なことで、
ここで場面緘黙症と判断するのは難しかったんだろうなと、子育てを経験している今の私は思いました。
幼稚園で話せなかった私|“伝える”ことが浮かばなかった
先生や友達に「おはよう」と言われても返事ができませんでした。
友達に誘われて遊ぶこともあったけど、
私は教室で1人、お絵描きをして過ごすことのほうが多かったように思います。
覚えている出来事で、
バス送迎で帰る日、出発前にどうしてもトイレに行きたくなってしまったことがありました。
トイレに行ってる間にバスが行ってしまうかも…
でも、今トイレに行かないと漏らしちゃうかも…
どうしよう、どうしよう……
パニックの状態で、階段に座り込んだまま我慢し続けました。
そして結局、その場で漏らしてしまいました。
今思えば、先生に「トイレ行きたい」と伝えればよかった。
本当に、それだけのことだったのだと思います。
でも、当時の私には、伝えるという選択肢が浮かばなかった。
なんとか自分で解決しなきゃ
そんな気持ちが強かったのを覚えています。
この時の自分の行動を今振り返ると、
自分はしゃべれないということを、どこかで自覚していたからこそ、話さないといけない場面から必死に避けようとしていたのだと思います。
「静かな子=大丈夫」とは限らない。
静かでおとなしい子でも、心の中では強い緊張と不安で戦ってることがあります。
小学校でも続いた“話せない”日々
小学校入学|話しかけたいのに声が出ない
入学しても先生や友達に返事ができないまま、授業でも答えることができませんでした。
それでも、一度だけ勇気を出して遊具で遊んでいる女の子2人組に思いきって話しかけようとしたことがあります。
「一緒に遊んでもいい?」
そう言いたくて、何度も口を開いたのですが、どうしても声が出ませんでした。
結局、言葉にはできなかったのですが、
自分から行動してみよう
と思えたのはこのときが初めてでした。
小学生になったという自覚が、少しだけ心を動かしてくれていたのかもしれません。
転校がきっかけで少し変化|筆談というコミュニケーション
2年生の春、親の都合で新年度が始まるタイミングで転校しました。
新しい学校に入った瞬間、体がギュッと強張ったのを覚えています。
それでも、心の中で強く思っていたことは、
このタイミングで絶っっ対に話す!
そう決意したのには理由があって。
前の学校の先生に
「ちゃんと先生に言わなきゃダメでしょ!」
「お口があるんだから言えるでしょ!」
と叱られ、みんなが見ている前でお尻を叩かれた経験があったからです。(怒られた経緯は忘れてしまいましたが…)
恥ずかしさと一緒に、今まで感じたことのない「しゃべらないといけない」という強いプレッシャーが押し寄せました。
あんな思い二度としたくない。
今度こそ絶対にしゃべる!
この時の私はめちゃくちゃ必死でした。
けど、新しいクラスの前に立った瞬間__
「あ、真駒ちゃんだ!」
同じ幼稚園だった子が私に気づいて声を上げました。
その途端、クッと喉が閉じる感覚が戻り、結局、話すことはできませんでした。
それでも日々の中で、小さな変化はありました。
クラスの子が「ねぇ、これに書いて教えて」と、机に置いてあった私のノートを指さしました。
それをきっかけに、友達とは筆談でコミュニケーションをとるようになりました。
気持ちを伝える手段ができたことで、少しだけ心が軽くなったのを覚えています。
おそらくこの頃からだったと思うのですが、うなずきや表情で気持ちを出せるようになり、
授業で指された時だけは声が出ることも増えていきました。



からかってくる男子にキレた表情を見せたり、泣いたりすることもありました。
声は出なくても、“表情”で自分の思いを必死にアピールしてました。
少しずつ「安心」を積み重ねることが1番のサポートだと思います。
「4年生になったら話してね」と言われた約束
3年生の終わり頃だったと思いますが、数人の友達から「4年生になったらしゃべってね」と言われて、私は無言で頷きその約束を交わしました。
当時の私は、
「しゃべれるようになりたい」
という気持ちがとても強くなっていました。
自分からきっかけを作れないからこそ、この約束をチャンスだと思っていました。
そして、4年生になりクラス替え。
新しい雰囲気にめちゃくちゃドキドキしました。
始業式の後、クラスごとに校歌を歌う時間があり、私はそこで精一杯の声で歌いました。
けど…
「真駒の声、全然聞こえなかった!歌ってなかった!」
斜め後ろの男子にそう言われてしまいました。
「ちゃんと歌ってた!」と主張したいのに、どうしても声にできない。
男子の言葉を否定しようと、首を左右に振るだけで精一杯でした。
先生はフォローしてくれましたが、男子は「絶対歌ってなかった!」と最後まで信じてはくれませんでした。
信じてもらえない…
言いたい言葉が頭の中でしか叫べない…
悔しさと悲しさが、私の中でぐちゃぐちゃに入り混じっていました。
次第に私は
頑張ってもダメなんだ
という諦めの気持ちが強くなっていきました。
それから私は、人と関わらないようにしたいという思いが強くなっていて、極力1人で行動するようになりました。
それでも話せるようになりたいという気持ちはありました。
人と関わりたくない…
でも、話したい…
だけど、声が出ない…
この矛盾した状況からなかなか抜け出すことができず、この頃の私は自暴自棄になることが多かったように思います。
周りの人との関わり方ひとつで、世界は大きく変わります。
もし、言葉が出ない人がいたら、その人が黙っている理由の奥にあるものに 少しだけ想像を向けてもらえたら嬉しいです。
小学生時代の私を振り返って
話せないことで困る場面は、日常の中でたくさんありました。
その中でも、やっぱり辛かったのは、学校という集団の中で過ごす時間でした。
「はい」の返事をするだけでも、どうしてこんなにも勇気がいるのか…
そして、授業は本当に地獄でした。
先生に指されたらどうしよう。
みんなに注目されたらどうしよう。
授業が終わるまで、ずっと緊張しっぱなしでした。
「今日こそ話す!」と何度も意気込んでは、
それができない自分に少しずつ自信がなくなっていきました。
そんな自分を責めてしまうこともあったけど、
周りの人の助けや、何気ない気遣いのおかげで、なんとか日常を送れていたのだと思います。
そして中学生になると、私の中でまた少しだけ変化が起こります。
基本的には話せないままでしたが、特定の友達とだけは話せるようになったんです。
それは「完全に治った」という変化ではありませんでしたが、私にとっては大きな一歩でした。
次の記事では、そんな中学校時代のことを、もう少し詳しく書いていきます。
ここまで読んでいただきありがとうございます!


