「なんで話さないの?」
当時、よく言われた言葉です。
話したくないわけじゃない。
むしろ「話したい」と思っている。
でも、声が出ない。
この感覚を、当時の私はうまく説明できませんでした。
この記事では、そんな場面緘黙症だった私の頭の中のイメージをイラストにして説明していきます。
私のイメージに「わかるかも!」という方もいれば、「全く違う!」と思う方。
場面緘黙症の方によって、持ってるイメージ(感覚)は本当に様々だと思います。
あくまでも私、真駒の個人的なイメージなので、
「こんなイメージを持ってるんだな」と参考程度に見ていただけたら嬉しいです。
発声には「ハードル」がある
「どうして声をかけられないの?」
「話しかければいいだけじゃない?」
場面緘黙症を知らない人からすると、そう思われてしまうことがあります。
しかし、場面緘黙症の人にとって「声を出す」という行為は、周りの人が想像するよりもずっと高いハードルを越える必要があります。
では、そのハードルとはどんなものなのか?
私なりに「積極的な子」「消極的な子」「場面緘黙症の子」のハードルのイメージを描いて比較してみました。
まず、積極的な子のイメージ画です。

積極的な子は、ほとんどハードルなく声が出せる
積極的な性格の子は、「おはよう!」と思ったら、そのまま自然に言葉が出ます。
もちろん多少の緊張をもつ子もいるかもしれませんが、それが発声を邪魔するほどではありません。
「話そう」と思った気持ちが、そのまま言葉になって相手へ届くイメージです。
次は、消極的な子のイメージ画です。

消極的な子は、一度立ち止まって確認する
もともと慎重な性格の子は、
「今話しかけても大丈夫かな?」
「相手は忙しくないかな?」
「このタイミングでいいかな?」
と、一度周囲の状況を確認してから声を出します。
つまり、小さなハードルはありますが、それを越えることができれば発声できます。
これは性格による「恥ずかしさ」や「人見知り」に近いものです。
では、場面緘黙症の子はどうでしょうか。

場面緘黙症の子は、ハードルが何重にも並んでいる
「おはよう」と言おうと思っても、
- 周りに人がいる
- 相手の表情が気になる
- 教室の空気が気になる
- 誰かに聞かれるかもしれない
- 今話していいタイミングなのか分からない
など、いくつもの不安が次々と現れます。
一つのハードルを乗り越えたと思っても、その先にはまた別のハードルがあります。
しかも、そのハードルの高さは毎回同じではありません。
相手や場所、その日の体調や気分によって、高くなったり低くなったりします。
だから、「昨日は話せたのに今日は話せない」「家では話せるのに学校では話せない」ということが起こるんじゃないかなと考えています。
発声までの道のりが、人よりずっと険しい状態なのです。
場面緘黙症の人の「言える時」と「言えない時」の状態
「昨日は話せたのに、今日は話せない」
「先生には話せるのに、友達の前では話せない」
場面緘黙症には、このようなことがよくあります。
周りから見ると、「気分の問題なのかな?」「その日のやる気次第なのかな?」と思われることもあります。
しかし、本人の中では決して気分や意思だけで決まっているわけではありません。
「声を出せるかどうか」は、心の中で起きている安心と不安のバランスによって決まっているのではと思いました。
心の中では「安心」と「不安」がせめぎ合っている
下記の図は、「安心要素」と「不安要素」の関係した基本の図になります。

私のイメージでは、心の中には「安心要素」と「不安要素」が常に存在しています。
安心要素とは、
- 安心できる人が近くにいる
- 慣れた場所である
- 一対一で話せる
- 「失敗しても大丈夫」と思える
など、気持ちを落ち着かせてくれるものです。
反対に、不安要素には、
- 人前で失敗するかもしれない
- 大勢に見られている
- 周囲の視線が気になる
- 初めての場所や慣れない環境
など、プレッシャーを強く感じる要因があります。
この二つのバランスによって、「声を出すための勇気」の大きさが変わると私は感じていました。
声を出すには「発声ライン」を越える勇気が必要
私は、発声には一定以上の勇気が必要だと考えています。
イラストでは、その境目を「発声ライン」として表現しました。

安心要素が多いと、不安によるプレッシャーが小さくなり、勇気が発声ラインまで届きます。
そうすると、言おうとしていた言葉を出せるようになります。
一方で、不安要素が強くなると、プレッシャーが勇気を押しつぶしてしまいます。
「言いたい」という気持ちはあるのに、勇気が発声ラインまで届かず、結果として声が出なくなってしまうのです。
次は、この基本の図を使って「言える時」と「言えない時」の状態について説明します。
「言える日」は安心が勇気を後押ししている
下の図は、例として「おはよう」が言える時の状態を表した図です。

その日に安心できる先生がいたり、教室の雰囲気が落ち着いていたり、人数が少なかったりすると、安心要素が増えます。
すると、不安によるプレッシャーが和らぎ、勇気が発声ラインを超えることができます。
本人は特別に頑張っているつもりではなくても、「おはよう」と自然に言える状態になります。
だから、「今日は話せた」という日が生まれるのではないのかなと考えています。
「言えない日」は不安が勇気を押し下げてしまう
次の図は、「おはよう」が言えない時の状態を表した図です。

人が多かったり、周囲の視線を強く感じたり、失敗への不安が大きかったりすると、プレッシャーは一気に強くなります。
すると、さっきまで十分あった勇気が押し下げられ、発声ラインまで届かなくなります。
本人は頭の中で何度も、
「言わなきゃ」
「今なら言えるかも」
「でも無理…」
そんな葛藤を繰り返しています。
決して「言いたくない」のではないです。
言うために必要な勇気が、プレッシャーに負けてしまっている状態なのだと、私は思います。
「自信」は勇気を支える土台になる
基本の図である一番下に「自信」を表した土台を描きました。

これは、一度話せた経験や、「できた」という成功体験、安心できる環境の積み重ねによって少しずつ育っていくものだと私は考えています。
自信という土台がしっかりしてくると、同じ不安があっても以前ほどプレッシャーを強く感じなくなります。
その結果、勇気が発声ラインに届きやすくなり、「言える場面」が少しずつ増えていくのではないかなと考えています。
場面緘黙症の支援では、「無理に話させること」よりも、
安心できる環境を整え、小さな成功体験を積み重ねて自信を育てることがとても大切なのです。
私自身、このイメージを通して伝えたいのは、「話せるか、話せないか」は本人の努力不足ではなく、その時の心の中で起きている安心・不安・勇気・自信のバランスによって大きく左右されている、ということです。
この記事のまとめ
いかがだったでしょうか?
場面緘黙症を抱える人にとって、「言葉を出す」ということは、とてもハードルの高い行為になります。
今回ご紹介した内容は、あくまで私、真駒が感じていた感覚の一つです。
ですが、この“ハードルがある感覚”を少しでも想像していただけたら、「声が出ない状態なんだ」と理解するきっかけになるのではないかと思っています。
そして、その理解は
「無理に話させる」のではなく、
「安心できる環境をつくる」ことへと繋がっていくのではないでしょうか。
ほんの少しの安心や、見守る姿勢が、ハードルを少し低くすることもあります。
すぐに変わるものではないかもしれませんが、その人のペースで、一歩ずつ越えていけるように。
そんな関わり方が広がっていったらいいなと思っています。
ここまで読んでくださりありがとうございました。

